見出し画像

「感覚」を取り戻せば社会への視点が変わる

佐藤卓 / グラフィックデザイナー

効率化を求めるあまり、人々は創意工夫や好奇心を忘れつつある。物事を単純化して捉えず好奇心を持てたら、背景にある課題にも興味を抱けるようになるのではないでしょうか。

2つの「単純化」が好奇心や想像力を奪っている

画像1

利便性が追求され、自動化が進む昨今。例えば車の窓の開け締めやトイレのフタの開閉が、人の手の運動を必要とせずスイッチひとつで作動するようになった。そんな現状に佐藤さんは危機感を持っているようだ。

便利になると、好奇心を持って想像する力が失われていくんです。便利になったということは、これまで不便だったときに行っていた手順が省略されたり、マシンがかわりにその手順をやってくれているということ。なので、不便なときに行っていた手順に目が向くことがなくなります。もしかしたら、便利な商品が安く販売されている裏側に、過酷な労働環境に置かれている人がいるかもしれない。好奇心が失われると、そんな現実が見えなくなる、想像もできなくなることもあるんです」

便利な世の中になったことで、目の前の物事に対して想像することが省略される。それは「物事を概念化していく」ことにも似ている

「誰もが子供の頃は好奇心を持って世界を捉えていました。目の前の物に対し『ここで動いているものは何だろう?』と興味を持ち、触ってみたり、口に入れてみたりしながら。

大人になると、目の前のコーヒーカップを見たらすぐに『コーヒーだ』と認識できるようになりますよね。子供の頃のように『これはいったいなんだろう?』とはいちいち興味を持たない。目の前のカップに入った茶色いものを、コーヒーという概念として捉える故に認識しやすくなるんです。

そうしないと、極端なことを言えば『このコーヒーはどんな分子で成り立っているんだろう』みたいなことにまで意識が集中していたら会話が途切れますよね。概念化して、共通言語化する。それが、社会性を身に付けるということです。ですが、物事を単純化して考えることは好奇心や想像力が失われることに繋がるのでは、とも感じています」

ものごとの単純化により、人は自らを取り巻く環境を「当たり前」というふうにも捉えるようになる。環境への視点を改めるためにはどんな意識を持てばいいのだろうか。

佐藤さんは江戸時代の哲学者、三浦梅園が残した言葉を紹介してくれた。「枯れ木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け」というものだ。

「ごく普通に花が咲くことがどれだけ奇跡的であるか。それを江戸時代の人はすでに言葉に残していたんです。当たり前の日常は決して当たり前などではないと

ありがたいという言葉は漢字で『有難い』と書きますよね。これはまさに、ありえないことが起きていることに感謝する気持ちから生まれた言葉なんです。当たり前に感じていることを凄いことだと気付く。そうすれば社会への見方や周囲の環境の感じ方が全く変わってくるのでは、と思います」


好奇心を生むデザインで好奇心を蘇らせる

画像2

とはいえ、意識することだけで新たな視点を持つことはなかなかに難しい。

「資源の問題もそうだし二酸化炭素の問題、エネルギー、食、山ほど問題を抱えているので、簡単なことではない。文明とは?っていう話にまでさかのぼっていきますからね。かなり思想的なことまでさかのぼることになると思う。だから、簡単なことではないと思います」

そんななか、佐藤さんはデザイナーとして、デザインを通して人の「感覚」を蘇らせようと試みている

「感覚を、デザインによって少しでも覚醒できないかっていう気持ちがありましてね。普段都会で眠ってしまっている感覚を少しでも。場合によっては、なにこれ!?っていう好奇心を生むひとつのきっかけとなるようなデザイン

そこには、こんな考え方がある。

『え、なにこれ?』って思っているときって、感覚で受けとっているのでまだ言葉になってないわけですよね。要は概念化されていない状態。いまの世の中、テレビコマーシャルなどで商品を見せられて、これがこうこうでここがいいですなんて説明をされて、それを最初に刷り込まれて店頭で見て確認する。そうすると、『なんだこれは?』ではなくて、『これってあれだな』っていう、概念化された、単純化された状態で受け取られてしまう。これでは好奇心も芽生えません」

そうではない状態をつくることが、デザイナーとしてできるアプローチだと考えている。

「『なにこれ!?』と思える、好奇心を生むデザイン。その驚きは、まだ言語化されていない、単純化されていない感覚からきているもの。そういうデザインは人の感覚に大きな影響を及ぼすと思うんです。そういったデザインが出来るように、心がけています。それが環境問題とか、あらゆることに興味を持つ、想像するきっかけに繋がっていくと信じているっていうところが、私にはありますね」


広告の世界に入って環境への意識が育まれた

画像3

東京都練馬区で生まれ育った佐藤さん。幼少期は昆虫採集や川で魚を獲ることもできたが、周囲の開発が進むにつれて川の水は汚れていったという。

「あるときから魚が一匹も獲れなくなったんです。子供の頃は何故急に?と思っていました。中学生になると大気汚染による光化学スモッグが話題になりました。テレビで、日常的に環境問題のニュースが放送されるようになっていたんです」

さらに、時代は高度経済成長期、都心が大都市へと成長を遂げるとともに世間には物が溢れかえった。

「こんな体験をしていたので、すべての仕事において、『より良くなるにはどうしたらいいのか』ということは考えています。この良くなるというのは、資本主義的な意味だけではなくて、環境や社会の問題に対してもそう。自然と、こんなに必要なのか?っていう思考が、普通に生活していたら起きちゃうわけ。そういう世代なんですよね

その思考が生かされたのが、広告代理店に勤めて商品開発に関わったときだった。

「商品そのものが魅力的でなければ売れないのではないか、広告を見て一度買ったとしてもリピーターにならないのではないだろうか、そう思いました。それでお酒の広告を担当する際、全くの未経験ではありましたが、商品開発そのものに携わらせてもらうことにしたんです。

飲み終わった後、ビンはゴミになってしまう。ならば、飲み終わった後もまたそのビンを利用できる、捨てられないということを前提に商品開発を進めました。飲料の会社としては、その飲料がきちんと消費者のもとへ届けばよくて、ビンの中身を味わってほしいわけで、本来『飲まれたあと』のビンのことを考える必要はありません。

しかし、私はそこまでやって、結果、多くの消費者に支持してもらうことができた。既成概念がないから、自分が持つ問題意識をそのまま商品にぶつけられたんだと思います

そんなふうに仕事に取り組んで、あることに気がついたという。

私は、デザインは気遣いだと思っています。商品を買った人が気持ちよく時間を過ごせるために、なにができるか。それを先回りして想像して、形にしていく。これを日本語で言おうとすると、気遣いという言葉にたどり着きます。やっぱりデザインって全部気遣いなんですよ、先回りして考えて、ね。なんてことも、仕事をしながら気付いたりするわけですよね」


■プロフィール

佐藤卓(さとう たく) グラフィックデザイナー。東京芸術大学美術学部デザイン科卒業後、1981年に同大学院形成デザイン科を修了。株式会社電通を経て1984年に佐藤卓デザイン事務所設立。ジャンルにとらわれず数多くの商品や企画のデザイン、アートディレクションを手がける。著書に「デザインの解剖」シリーズ、「クジラは潮を吹いていた。」「塑する思考」など。

取材日/2019年2月