時短のためにおいしさを犠牲にしない
最近、ある料理家の方とお話していて、でてきた言葉です。
改めて言われると、ドキッとしました。
私もメニュー開発の仕事に就いてトータルで8年近くたちました。
とにかく忙しい現代人にとって、「時短」は今や必要不可欠な要素。
どんなにおいしくても、完成までに1時間もかかる料理は、見向きもしてもらえないのが現状。
ではありますが、レシピをたくさんの人に見て、作ってもらうために、
私は「時短」を優先しすぎてはいないだろうか?
「時短」優先のレシピが、
おいしさや、料理の楽しさをどんどん奪ってはいないだろうか?
1時間かかるレシピは確かに見てもらえないかもしれない。
だからと言って「時短」は必ずしもみんなが求めていることなのか?というと、そうではないのではないか?
やっぱり、「おいしいものが食べたい!」が最初でないと間違ってしまう。
そんなことを考えさせられました。
メニュー開発の仕事をしていると、
「料理ができる人には、料理が苦手な人の気持ちはわからない!」
と本当によく言われます。
ですが、私も最初から料理が得意だったわけでは全くなく、この仕事も、会社に入って、たまたま配属されたのがメニュー開発部門だったというだけで、いまだに母親には「不器用なあんたが、料理の仕事をしてるのが信じられん」と言われ続けているほど。
それでも先生みたいな顔をして仕事ができているのは、料理が”得意だから”ではなく、”好きだから”、なのかなと思っています。
料理は誰でも気軽にチャレンジできるからこそ、失敗による「苦手意識」もできやすい。簡単そうに見えるから、なおさら、こんな簡単なこともできない=料理が苦手となってしまう。
だからこそ、料理ができるようになりたい人に向けて書くレシピは、
「苦手意識」をできるだけ持たせないようなレシピである必要がある。
さらにお話をしていて、はっとさせられたのが、
「料理が苦手といっても、苦手に思うポイントはそれぞれ違う。例えば、2つのことを同時にできない人、調味料の数が多いと面倒に感じる人、ほったらかしでできるなら、1時間かかっても時短に感じる人、とにかく早く食べられることを優先する人、片づけられない人、、、、それぞれ、解決のアプローチが違う」
そこなんです。
時短・簡単だけでは、「料理の苦手」は克服できないんです。
カンタンなら作ってくれるだろう、
確かに、まず一歩を踏み出してもらうには、そういうレシピも必要ですが、それではその先にはなかなか進めない。
なぜ、進めないか。
おいしさを犠牲にして、無理やり簡単にしているからではないでしょうか。
人によって違う失敗のパターンを型にはめたり、みんな忙しいから時間がないというところからレシピづくりがスタートする。
料理はしなければならないものではなく、
おいしいものを作りたいからするもの。
義務になった瞬間に、おいしさや楽しさって犠牲になる気がします。
私自身のように楽しい、好きという気持ちで料理をしてもらえるように、
「時短のためにおいしさを犠牲にしない」を忘れないよう、
レシピを作っていきたいと、気が引き締まった日になりました。