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「おいしい」のために追求されたヴィーガンパンの世界(神林慎吾)

神林慎吾 / 西新宿「MORETHAN BAKERY」シェフ

ヴィーガンパンに出会ったことで原点に回帰し、パンの本来的なおいしさを追求するようになりました。パン屋という身近な存在から、ヴィーガンの間口を広げていきたいと思っています。


パンが主役になれる、ヴィーガンとの出会い

西新宿のホテル「THE KNOT TOKYO Shinjuku」1階の「MORETHAN BAKERY(モアザン・ベーカリー)」。

バゲットなどの定番から海外の最新の流行を取り入れた商品まで幅広いラインナップを取り揃える人気店だ。シェフの神林慎吾さんはパン職人になったきっかけについて、ある一言がきっかけだったと振り返る。

「学生の頃、アルバイトをしていたパン屋で職人さん達が突然辞めてしまい、僕がパン作りを仕込まれることになったんです。不器用な僕が、パン作りだけは最初から何の困難もなくやることができました。

ある日、店のパンを監修されていた先生が『君はパンを作るために生まれたきたような人だね』と褒めてくれたんです。将来について何の希望もなく悶々としていた時期だったのですが霧が晴れたような気持ちになり、その日の夕方には、大学に退学届を提出しました」

それ以来35年間、一切の迷いなくパン作りに没頭してきたという。そんな神林さんのパン作りの捉え方が大きく変わったきっかけが、ヴィーガンパンとの出会いだった。

「5年ほど前に、ヴィーガン料理をパンで表現するというイベントがあったんです。バター、チーズ、卵などが使えず、100あった自分の武器が一桁になったような感覚でした。そこで野菜を使って華やかなパンを作ることにしました」

作ってみると「野菜と共に味わうことでパンが持つ穀物としてのおいしさがここまで引き出されるのか」と、衝撃を受けた。

「それまでパンは食事の名脇役だと思っていましたが、主役になれるパンを意識するきっかけになりました」

さらに、「そもそも、小麦粉、酵母、塩、水だけでおいしさを表現できるのがパンなんだ」と気づくきっかけにもなった。

「それまでは乳製品やドライフルーツなど、おいしさを足していく発想でした。しかしヴィーガンパンに出会ったことで、発酵の大切さや小麦の風味をいかに引き出すかというパン作りの原点に立ち返ったんです。それは、僕がどうパン作りに向き合うかという意味での原点回帰でもありました」

小麦本来のおいしさを追求するパン作り

MORETHAN BAKERYは、普段は卵やバターを使ったパンを販売しているが、2020年9月から毎週日曜のみヴィーガンパンだけを販売する「SUNDAY VEGAN」を行っている。

併設ホテルは海外からの宿泊客が多く、ヴィーガンパンの要望があり、より多くの人にヴィーガンを提供しようとする取り組みだ。

「売り上げの高い日曜日にバターやチーズを使えない。一体どうなってしまうのか、最初の半年は怖くて仕方がなかった。また、一週間に一度だけヴィーガンパンを作るために、仕込みのルーティンを崩すのも大変なことでした。しかしフタを開けてみると、日曜は最も売り上げの高い曜日になったんです」

反響は予想以上に大きく、「子どもに安心して食べさせられる」「週に一度だけでもヴィーガンをやってくれてうれしい」という声が多かった。一部には通常商品が購入できないことに不満の声もあったが、信念を持って貫き通した。

「100の褒め言葉があっても、1の不評に対してすごく心が揺れました。でもうちのマネージャーが絶対にやり切ろうと言ってくれたこともあり、続けることができたんです。半年ほど経って、やっと自信がついてきました」

ヴィーガンパン作りの最初の難関は、材料の代替品を探すことだったという。

「例えば、クロワッサンのおいしさはバターを味わうものだと思っていたんです。でもパンが層になっているサクサク感や、それが油脂と出会っておいしさを生み出すのが、クロワッサン本来のおいしさだと気づきました。ヴィーガンパンを作るにあたって『一つ一つのパンのおいしさとは何か』を改めて深く考えたんですね。そこから小麦のインパクトを強くしたり大豆バターを使ったりして、最近やっと、入り口に辿り着いたところです」

約2年間、試行錯誤を重ね「これを極めたらもっとすごいクロワッサンになる」と神林さん。ヴィーガンに限らず、何か頼まれごとをした際なども「NOと言わず、とにかく1回、全部やってみる」と語る。チャレンジ精神を持つことで、自分のパン作りの幅を広げていきたいそうだ。

「パン屋は、選ぶ楽しみのある場所だと思うので、いろいろなヴィーガンパンを作ってみたいと思っています。どんな小麦粉を使うのか、発酵をどうするのか、パン作りの原点回帰をしながらも、バラエティの豊かさも提供できるよう両輪を走らせていきたいですね」

おいしいパンを間口に、ヴィーガンを楽しむきっかけを広げたい

ヴィーガンパンを作るようになってから、生産者に対する意識が変わったと、神林さん。

おいしいヴィーガンパンを追求していった結果、原料にこだわりたいと考えるようになり、そのために生産者さんにつながりたくなりました。実際にお会いして、目の前で野菜を調理して食べさせてもらうと本当に感動するし、野菜に対する見方が変わります」

また、国産小麦にこだわるようになったことで小麦の生産者も意識するようになった。
「国産の小麦粉だと、小麦の品種が分かるんです。するとどこで栽培されたものか知ることができます。

品種によって味わいや粘りなどに特徴があるので、パン作りのイメージに答えが出しやすくなるし、パン作りが楽しくなります。ヴィーガンパンを作ることで生産者を身近に感じられるようになったので、もっとその魅力を知ってもらいたいと思っています」

今後は、「ヴィーガンパンとして圧倒的においしいものを作りたい」と言う。そのために必要なことは、既存の代替をやめること。
「どうしても最初はチーズの代わり、肉の代わりを探すという思考になりがちです。でもそれでは本当においしいヴィーガンパンは生まれません。 “おいしさを追求するからこそヴィーガンパンを作る”という世界観を確立できたら、もっとヴィーガンが定着し、可能性が広がっていくと思います」

卵やバターの値上がりが続く昨今の情勢についても、「ヴィーガンパンというシンプルなおいしさに立ち返る機会になる」と捉えている。

「食の持続可能性という意味でもヴィーガンを選ぶのは大切なことだと思います。でもレストランに行ってヴィーガン料理を注文することに、ハードルの高さを感じる人は沢山います。

その点、パン屋という身近な存在がヴィーガンを作ることで間口がすごく広がると思います」
日常的にヴィーガンを楽しんでもらうためにも、小麦のおいしさを味わえるようなパンを食べる機会を増やしていきたいと考えている。

「日本人は普段ほとんど夕食にパンを食べないのですが、1年に1回クリスマスだけはシンプルなバゲットを食事に合わせます。それを月に1回、週に1回と増やしていきたい。例えば、野菜をソテーしてパンと一緒に食べると、シンプルなのにオシャレで食卓に高揚感が生まれます。そういうアイデアの発信をしながら、ヴィーガンパンに興味を持っていただけるとありがたいと思っています」

神林慎吾
1968年東京生まれ。18歳からパン屋のアルバイトを始める。20歳で大学を退学し本格的に修行を開始。2002年に独立し、国分寺市で「ラ・ブランジュリ キィニョン」をオープン。2006年 八王子市で「ラ・ブランジュリ カロン」をオープン。2013年に、株式会社MOTHERS(マザーズ)に入社し、ベーカリー部門の責任者に就任。同年、吉祥寺に「Boulangerie Bistro EPEE」を立ち上げた。「MORETHAN BAKERY」、「SUNDAY VEGAN」などのシェフを務める。

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