おいしい日本の食は作る人と食べる人が一緒に作る
高橋義弘 / 京都「南禅寺 瓢亭」十五代目当主
日本の食を大切にするためには、そのルーツとなる食文化や伝統を知ることが必要です。作る人と食べる人が一緒になって伝統や文化をつないでいければ、豊かな食は続いていくはずです。
食が複雑に変化してきたのは伝統や文化を知らないせい?
日本の食文化の要所、京都において、400年の歴史を持つ瓢亭。十五代目当主となる高橋義弘さんは、その伝統を守りぬくために、常にフラットな視線で時代を観察している。
「最近、日本人のなかで食のルーツを大切にしようという意識が薄らいでいるのではないかと残念に感じることがあります。厨房の中で調理する京都の本店ではあまり直に実感する機会はなかったのですが、昨年、東京店を出店して、カウンター越しにお客様と接する機会が増えたからかもしれません」
日本人であっても和食の作法を知らない人や、料理を上手に食べられない人なども目立つという。
「最近、気にかかるのは不自然な食べ残しですね。お寿司のネタだけや、卵の黄身だけを召し上がるような食べ方をされたりする。ダイエットやアレルギーなど事情があるのかもしれませんが、料理人としては複雑な気持ちになります」
率直な思いを語る一方、その理由を冷静にこう分析する。
「食材や食べるという行為を大切にできないのは、礼儀作法など日本の伝統的な食文化の知識が薄らいだせいかなと思います。これは生活様式の変化が大きい。たとえば、かつて日本料理はお座敷に座り高膳を用いて食事することが日常でした。お椀との距離も遠く、自然と器を手に持つ作法も身についた。しかし、今は洋式のテーブルと椅子の生活が普通です。作法の意味を自然に受け取れなくなっている環境へ時代とともに変化してしまったわけです」
作る人と食べる人が一緒に“楽しくておいしい” を作る
生活スタイルも変わり、世界各国の食が手軽に楽しめる時代。一見、日本の伝統や文化、礼儀作法を知ることなど必要ないように思われる。しかし、それは、もったいないことだと高橋さんは語る。
「伝統とか礼儀作法を心得ることは、食事をもっとおいしく味わう知恵でもあるんです。たとえば、お椀をいただく作法。蓋を開けて出汁の良い香りを感じる。お椀を両手に持ち、汁をすする。すするという行為は、空気を含ませながら温度を下げますから、お出汁の香りと風味をより楽しめるんです。こんな風に、一連の流れや作法にのっとっていただくことで、五感全体でお椀のおいしさを味わうことができるのです」
ほかにも、礼儀作法には大切な意味や意義があるという。
「作法とは、丁寧に食べている、その場を大切にしているという心を表す行為ですから。食を介して、みんなで良い場を作り、心地よく過ごすための術なんです。正しい作法でおいしくいただいてもらえたら、一緒に食べている人たちはもちろん、サービスする人や作る人も幸せな気持ちになります」
こんな人がいるかもしれない。お金を支払っているのだから対価としてサービスを受けるのは当たり前、ルールに縛られすぎず食事を楽しんでもいいのではないか、と。けれど、消費者の立場でも「自分もその場を作る一員となり、みんなで食を楽しもうという姿勢を持ってもらえたら」と高橋さんは話す。
「お客様側もよい客であろうとすること。それは日本の伝統文化の表れのひとつだと思います。茶道や茶懐石は特に象徴的です。亭主の手を煩わせないため食べる側の客が器を綺麗にするという所作がある。客だからサービスを受ける、という依存的な姿勢ではなく、亭主のおもてなしに対して『お世話になります』という思いやりの心があるんですよね。店側も嬉しくて、さらに心を尽くしておもてなししようと気持ちが引き締まります」
そんな日本の食の伝統や作法を多くの人に知ってもらおうと、高橋さんが長らく力を入れているのが「食育」の活動だ。
「お椀の食べ方のほか、おいしい出汁の引き方や季節の献立などを伝えています。子供たちへ良い食がおいしい記憶とともに伝われば、それを与える親世代も自然と巻き込んでいけますから」
多忙な中、あらゆる場に出向き、精力的に発信している高橋さん。けれど、それだけでは“伝えること”は難しいとも。
「発信者のみならず、受け取る側の意識も同じくらい大切です。発信しても受け取ってくれる人がいなければ、消えてしまう。先ほどの店側とお客様の関係にも通じますよね。受け手にも『食をもっと知ろう、楽しもう』という前向きな姿勢を持っていただけて初めて、良い場の空気が生まれる。一緒においしいものを作り、つないでいけるのではないでしょうか」
おいしい笑顔をつなぐ、京都の食の心
“食のおいしさ”はみんなで作り、つなぐもの。そんな意識が身にしみついているのは、京都という土地に生まれ育ったからではないかと話す。高橋さんも当たり前に日々、食と真摯に向き合う。
「ここ数年、食のサステナビリティについて語られることが増えましたけど、京都では昔からあるもの、日常生活に根付いている考え方だなと思います。 たとえば、鯛一枚も、ほぐし身や骨まで使い切ることが当たり前ですし。最近では、昆布の採れ高が減ってきましたから、昆布で出汁を引くことばかりに執着して少ない食材をみんなで取り合ったりせず、野菜のヘタなどあるもので別のおいしさを生む工夫をすることも、ごく自然な振る舞いです」
大切にすべきサステナビリティとは料理のみならず、この社会において、みんなで生きていく姿勢そのもののことである。
「つまり、形よりも心ですよね。貴重な高級食材は無理に調達しようとしない。台風で野菜が不作の時は手に入る食材を生かしたメニューに変えて提供するなど。今だけ、自分のことだけを考えず、生産者、料理人、消費者とそれぞれの負担が少ない、幸せな食をみんなで作ることが大切だと思います」
食の素晴らしさは世代を超えて人から人へと伝わっていく
高橋さんは大きく変わり続ける時代を受け入れながらも、400年以上も続いている瓢亭の伝統を受け継ぐ決意を強く持つ。
「当たり前のようにそう思えているのは、先代である親父のみならず、この店のみんなに育てられてきたからだと思います。僕が6歳の時からいる、現在の料理長をはじめ、いつも店のスタッフに囲まれ、可愛いがられてきました」
家に帰れば、すり鉢でゴマをすっている香りに迎えられ、下ごしらえする料理人たちの包丁の扱いを見ることができた。
「店を支えてくれる大人たちと日々を過ごすうちに食に興味を持ち、その大切な心を自然と学んできたのかなと思います。きっと、他のご家庭でも同じですよね。たとえば、祖父母世代と食事をともにすることから、知ることってたくさんあるのかなと思うんです。和食の文化や心も、こんな風に人から人へと自然に伝わっていけばいいなと思います」
■プロフィール
高橋義弘(たかはし よしひろ) 1974年、京都府生まれ。南禅寺境内の茶屋として創業以来、400 年以上もの歴史を持つ「瓢亭」の15代目当主。京都で育ち、東京の大学で経営学を学んだのちに、石川県・金沢の割烹「つる幸」で3年間修行を積み、再び京都に戻る。先代の父・英一氏のもとでさらなる修行を重ねて、2015年、15代目に就任した。
取材日/2019年9月