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食の未来は、子どものリテラシーを上げれば変わる

小山薫堂 / 放送作家・脚本家

日本の食問題を根本から解決するには、消費者も意識を変えていかなくてはなりません。大人以上に、子供たちへのアプローチが、その解決につながる気がしています。

料理人が食の課題を浸透させた今、次のフェーズへ

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「食の世界に関わるようになったのは、テレビ番組の『料理の鉄人』に作家として携わってからです。料理人がどんな人生を歩んできたのかをリサーチして、その人が持つ料理へのこだわりを番組に反映させていきました

番組を通し、さまざまな料理人の生き方にリスペクトを覚えた小山さん。昨今は、若い料理人達にある意識の変化が見られるという。

「『料理の鉄人』が放送されていた頃は、おいしい料理を調理できる料理人が評価されていました。今の若い料理人はそこから更に、社会が抱える課題をどう解決するかに価値を見出していることが多いと感じます」

新世代の料理人は積極的に食の課題を発信している。その影響もあり、社会が環境問題に目を向け始めた。

「最近では恵方巻きの廃棄問題などフードロスに関するニュースが増えてきましたよね。それは料理人達が自らインフルエンサーとなって啓蒙活動をしてきた成果でもあると思うんです」

ただ、さらにその活動の輪を広げることが、食にまつわる環境問題を解決に導くことには求められる。

「料理人が担うのは、オピニオンの発信です。それに共感する消費者がいるから、オピニオンの発信が社会を変える一助になります。ただ、社会における食との接点は、料理人が作る料理よりメーカーが生産する食品の方が圧倒的に多い。だからメーカーは料理人のオピニオンをもとに、実際に活動していくべきなんです」


子供の食リテラシーを上げれば食環境は変わる

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メーカーは料理人のオピニオンをもとに、実際に活動していくべき。では、それを受け取る消費者はどうすべきなのか。小山さんは、日本の食文化を守る手立てとして、子供たちへのアプローチが効果的なのではないかと言う。

「最近、新たな切り口の方法があると気付いたんですよ。それが子供の食のリテラシーを上げることです。例えば、小学生に食材への向き合い方や選び方など、食の正しい知識を教育をする。そうすれば、彼らが二十歳になった頃には食への考え方が変わっていると思うんです」

子供の食のリテラシーをアップするための例として、ある高校生が立案した企画を挙げた。社会を良くするための企画を公募するコンテストに応募された「全日本おさかな選手権」というものだ。

「これは、子供達が一匹の魚をどれだけ綺麗に食べられるか競い合うコンテストをする、というアイデアなんです。何が良いかというと、当日まで子供達は自宅で魚を食べる練習をしますよね。

そうすると、今まで切り身しか買っていなかった主婦の方達も魚一本を買うようになり、子供と一緒に魚のことを学ぶようになる。このコンテストのように、食育をエンターテイメントに昇華して楽しむ方法がもっと世の中に存在してもいいと思います」

更に、環境を思いやる食生活を当たり前にするためには、「子供の舌に本物を覚えさせること」が重要だと小山さんは語った。

「大人より子供の方が外国語の習得が早いことがありますよね。そんなふうに、新しいものを受け入れる、その価値を受け入れるのは、子供の方がスムーズかもしれない。有機野菜のおいしさも実は子供の方が理解できるのかも。幼い頃に築かれた食のベースは後に大きな影響を及ぼしますよね。子供達のリテラシーが上がるのにつれて、親の食のリテラシーも一緒に引き上げられることもあると思うんです」


母の料理に飢えていた幼少期

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料理人に関心を抱くようになり、現在は日本の未来の食環境を照らす企画を思考する小山さん。食に興味を持つようになったのは、多忙な共働きのご両親のもとに育ち「お手伝いさんが作った料理が家庭料理だった」という幼少期の環境が大きい。「幼い頃に築かれた食のベース」について、そんな家庭環境から子供心に辛い思いをした経験もあるそうだ。

「周りの子のお母さんが作るおやつには憧れを持っていました。ある日、お小遣いを無くしてもいいからおやつを用意して欲しいと母に申し出たんです。

次の日わくわくしながら冷蔵庫を開けると、そこにはみつ豆の缶詰が一個(笑)。子供の純粋な気持ちをないがしろにされたような気がして、すごく悲しかった記憶があります。

その頃、両親は貸衣装や美容室を家業としていました。食卓には、折り詰めして持ち帰った結婚式のご馳走が並んでいて。豪華ではあるんですが、空虚さを感じていましたね。もっと普通のものが食べたいと思っていた。だからか、食の愛情に敏感になっていったんです」

母親の手料理に飢えていた小山さんが、本格的に食に興味を持つようになったのは大学時代。テレビのプロデューサーとの出会いがきっかけだった。

「大学生時代、ラジオ局でアルバイトをしていて。そこでテレビのプロデューサーと出会ったんです。テレビ業界に勤める方達から世の中の美食を知っていきました。おいしい焼肉屋や中華料理店、イタリアンの老舗・西麻布のキャンティを知ったのもあの頃ですね」


多くの出会いを経て食を大切にするように

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放送作家となった小山さんは、自身が手掛けた『料理の鉄人』を機に、多面的に食関連の人々に出会っていく。

中でも印象的だったのは、フレンチレストランの名店「クイーン・アリス」のシェフを務めた石鍋裕さんだ。

「石鍋さんは『40歳のときに50歳の自分を想像して目標を立てる。そうやって常に10年先を見ながら生きてきた』と話していたんです。そんな風に自分の人生を見据えてプランを考えている料理人がいるんだと衝撃を受けましたね」

食通のカメラマンと共に新潟の米農家を訪ねた際には、生産者への尊敬の念が芽生えたという。

「農家の方にカメラマンが『今年のお米の出来はどうですか?』と聞いたんです。そしたら『私は米を作って今年で50年です。50回しか米を作ったことがないんですよ。だから、正直わからないんです』と仰るんです。

カメラマンなら何万枚、何十万枚と撮った写真の中で、優劣は付けられます。だけど農家の方は50年という長い年月ではあれど、50回しかチャンスが無い。その中で試行錯誤して自分の仕事を極めていく。すごい職業だなと思いました。それが農業をされている方へのリスペクトが生まれた瞬間です」

料理評論家の山本益博さんは、小山さんの心にこんな言葉を刻んだ。

「益博さんが、あるとき気付いたと言うんです。『おいしい店を探すより、どんな店に行ってもおいしく食べられる能力を磨いたほうが人間は幸せだ』と。

本当にその通りだと思いました。例え口コミサイトで低く評価されている店だとしても、その中からおいしさを見出す。そんな発想を持って食に向き合うことが、豊かで健康な食生活に近付くための一歩なのではと、思います」


■プロフィール

小山 薫堂(こやま くんどう) 放送作家として「料理の鉄人」や「カノッサの屈辱」などさまざまな名番組を手がける。2008年に公開された「おくりびと」ではアカデミー賞外国語映画賞、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。2012年に京都の料亭「下鴨茶寮」の経営を引き継ぎ主人に就任。著書に「随筆 一食入魂」「人生食堂100軒」「考えないヒント」など。

取材日/2019年2月

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