♯45身表の小肌握りと、背筋の塩梅~中治勝(初音鮨)~
中治勝/初音鮨
女将のために鮨を握った。
中治勝は、女将の病を機に一貫を極限まで突き詰め、100年続いた町場の鮨屋を世界的名店へと押し上げた。初音寿司は、1893年創業。2009年から12年連続でミシュラン二つ星獲得。各地であがったピンの魚の本質を見極め最高潮に仕立てる。
「ネタのすごさはさることながら、おもてなしの仕方、それから中治さんご自身のサービス、全てにおいて隙がない。これはまるでショーを見てるかのようだ。」
そう語るのは、ピアニストの清塚信也氏。
中治は、目の前で大トロの漬けを炙り、調理場からライブ中継をしたりと、劇場型の真骨頂である。ある日の演目はマグロだけで8貫。全部で20貫にもおよぶ大作にもなる。渾身の一貫は称賛と喝采を浴びるところとなり寄り添う女将を勇気づけた。女将の祈りが通じがんを克服したが、再発し闘病の末、天国へと旅立った。
中治は亡き妻との思い出の詰まった蒲田から、店から離れ、1年間イタリアへ渡った。それは亡き妻と夢を叶えるためでもあった。しかし、コロナの影響でイタリア出店を断念し帰国した。夢は叶わなかったが、また蒲田で鮨を握ろう。そんな気持ちが芽生え始めていた。
中治勝の未来に残すべき作品とは
中治が選んだ鮨種は小肌。
「小肌は仕事を始めたきっかけの魚。4つか、5つくらいの頃からですかね。そして小肌は、鮨の要素が全て揃っているといいますか。塩でしめる、酢じめする、熟成させる。」
寝かせた小肌に包丁を入れ、50℃に温めた皿にのせる。小肌の脂がじんわり浮かびあがる。
未来に残すべき作品の1つ目は、小肌の背筋。小肌の熟成具合を見るために職人が食べるもので、初めてお客様に出すと言う。そして、2つ目に小肌の握り。小肌といえば光物の代表格で、きらきらと輝く皮目を表にして握るのが定石だが、中治が握る小肌は、なんと身表。旨みが脳天に直撃する。
「塩梅の良さ、塩加減と酢加減のバランス。父から子に、子から孫に、孫からひ孫に続いてきた味。そして背の筋のところからチェックし、一貫一貫握ってほしい」という思いを込めて中治は選んだという。小肌を残すというより鮨職人としての魂を残すような作品であった。
やりぬいたか、出し切ったか、明日がこなかったとしても悔いがないか、自問自答しながら中治は握る。
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