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料理ができる人になる近道

「ZENBのメニュー開発を担当しています」

と自己紹介をすると、おそらく皆さん「この人は料理ができる人」なんだろうなと思いますよね。

私自身、料理を習ったことは会社に入るまで1度もなく、料理の師匠は母親です。その母親も仕事にしている縫製に関してはプロ級ですが、料理はいたって普通。

私が「料理ができる人」になれた理由があるとすれば、小学生の頃から、ほぼ毎日、キッチンで夕飯を作る母の後ろにある食卓の椅子に座って、今日一日の出来事を話しながら、教えてもらうでもなく、料理をしている母をみていたからではないかと思っています。

その時は、料理を覚えようなんて考えていなかったし、手伝うのも面倒だなと思っていたほど。

ただ、料理の世界においては、「見たことがある」ということは、すごく意味がありました。

レシピって、説明がなさすぎるんです。
でも、一方で、誰でも失敗しないように事細かに書き始めると、取り扱い説明書みたいに、長くなり、しっかり読めば、わかりやすいけど、料理しながら、しっかり読むのは、無理、となってしまって、これはこれで詳しいけど、逆に伝わらないレシピになってしまいます。

精密機械のように、きちんとした手順を踏まないと壊れてしまうものなどは、詳しい説明が必要ですが、料理は逆。

となると、レシピの行間にある、包丁でどういう風に切るのか?野菜はどうやって洗っているのか?どのくらいの時間ゆでたらどういう食感になるのか?火加減は?煮たらどれくらい小さくなるのか?

そんなことを、どれだけ「見たことがあるか」、自分の実感として知っているか?それが料理ができる、できないを分けていると思います。

逆に言えば、このレシピには書かれないこの辺りのことを、実感を持ってわかってくると、作り方まで読まなくても、材料を見れば、どんな料理でもできてしまいます。


「見たことがある」はもう一つ、私にとって意味がありました。

料理の向こうには、必ず作ってくれる人がいる。
それを当たり前のように知っていたこと。

自分のために毎日料理を作ってくれる人の姿を見ることで、作り手の気持ちを知れました。

料理って、献立を考えるところからスタートしています。
冷蔵庫の在庫の確認して、この野菜早く食べないととか、昨日何食べたっけ?とおんなじようなものにならないように考えて、足りないものがあったら、買い物に行って、、、料理が終わった後も、片づけをして、、、

料理って思ったより大変。
簡単に見えちゃうのですが、やってみると意外とできない。
そのギャップは、作り手のことを知らないから生まれると思っています。

作ってくれる人がいることを知る、その想いを知る、大変さを知る、
それが料理ができる人になる近道だったと私は思っています。

「技術は見て盗め」と昔の人や職人の世界ではよく言われますが、
そんな意地悪なこと言わないで教えてくれたらいいのに・・と思っていましたが、こうして考えてみると、「見る」ことって、実は上手になるための「近道」なのかもしれない、ですね。

みんなにも読んでほしいですか?

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