#23 海鮮パスタ爺さん焼
道場六三郎 / 銀座ろくさん亭・懐食みちば
私の記憶が確かならば、今回の主役は、かつて「料理の鉄人」と呼ばれた料理人。道場六三郎さん、御年88歳。斬新な発想と磨き抜かれた技で、日本料理にあまた革新をもたらしてきた風雲児。
道場さんが今、未来へ遺すべき一皿を作るとしたら、それはまさに、
未来を担う料理人へ向けた「遺言」。
88歳になった今なお、自ら陣頭指揮に立ち、月替わりのメニューを作る道場さん。昭和6年、石川県山中温泉生まれ。19歳で料理人を志し、上京。
名店で修業を重ね、赤坂の料亭、常盤家へ。衆議院議員会館や総理官邸への出張料理でその実力を買われ、28歳の若さで料理長にまで上り詰めた。しかし、自分の店を持つという夢をかなえるため、独立。40歳で銀座にろくさん亭をオープンした。
そして還暦を迎えた頃、ある転機を迎える。
1993年、テレビ番組「料理の鉄人」スタート。
道場さんは初代“和の鉄人”として番組に出演。日本料理の型にとらわれず、フォアグラやキャビアを積極的に取り入れた料理で勝利の山を築いた。
いつしか風雲児と呼ばれた道場さん。
伝統を重んじる日本料理界において、それは必ずしも誉め言葉ではなかったが、道場さんの考えはこうだった。
「昔から、我々が先輩に教わった料理はしたくない。人真似をしたくない。
僕の料理はいつも新しい。新しいものでないと楽しくない。」
同じく「料理の鉄人」として活躍した、フレンチの鉄人、坂井シェフは道場さんの料理をこう語る。
「道場さんの料理は奇想天外でもあるが、あれを足してこれを足してという料理ではなく、マイナスをしていく、食材を素直に表現する料理。」
こうして、フレンチや中華など他のジャンルの料理人と交流することでもまた、道場さんの新しい形の日本料理は進化を続けた。
変化をいとわず、誰よりも熱心に食を探求し、楽しむ。
包丁を初めて握ったその日から抱き続けてきた想いはひとつ。
「ただただ、おいしいものを作りたい」
そして70年、己を高め続けてきた。
世界中の料理人がレジェンドと崇める道場さんの、未来へ遺すべき作品。
道場さんは70年にも及ぶ料理人生の集大成ともいうべき究極のおいしさを作り出そうとしていた。
たどり着いた一つの答え。
「こんかいわし」
こんかいわしとは、道場さんが幼少期を過ごした北陸で、雪深き暮らしの中から生まれた発酵食品。道場さんの味覚の原点になったもの。
「僕の料理のルーツは、父親の料理」
父親は料理人ではなく、漆職人。料理が好きで、自分で料理をするような人だった。今みたいに冷蔵庫もないので、秋にいわしを糠と塩でつけて「こんかいわし」を作り、ホタテ貝に大根の千切りと一緒にのせて煮た貝焼きをよく作ってくれた。
道場さんはその味に想いを馳せ、作品を完成させた。
包み紙をあけると、意外にもそこにはパスタが。
皿の主役に据えたのは刺身でも食べられる生きた伊勢海老、鮑、たこ、いか。それらを一口大に切り分ける。
次に手にしたのはいかの塩辛。しょうがと唐辛子を加え、ミキサーにかける。それは父が作ってくれた思い出の味、こんかいわしを使った貝焼きにヒントを得たソース。そこにパスタを添え、石焼きにして仕上げた。
なぜこの一皿だったのか。
「こういう料理は他の料理人もあまりやっていない。塩辛がこれだけの味をもったものだということを知ってもらいたい。」
「冷蔵庫の隅にあるちょっと残ってしまったような塩辛と、食感が面白い春菊の軸など捨ててしまいがちなところも残さず使って、家庭でも手軽に作ってもらえる。」
今の自分があるのは父のおかげ。
道場さんは、これからも各家庭でおいしさの未来が育まれることを願っている。
最後に、道場さんはもう一つ、書をしたためていた。
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